(高橋館資料室 与倉村と重複あり)
現.千葉県香取市与倉 千葉県香西村与倉(佐原市に合併)
旧下総国大戸莊与倉村
與倉村 与倉 | |
下総国大戸庄与倉村(明治十一年作成の戸簿簿:佐原市役所の地下室所蔵) |
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与倉村 高橋家、片野家について |
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高橋、片野家の与倉村との関係は天正中にこの地を支配していた矢作城主 寛 政6年(二百年前)の当主武右エ門が大竜寺の二十九世徽叟和尚の所へ
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板碑 下総板碑 | |
与倉には古い板碑が幾つもある。 |
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お化け石と称するに二尺五寸×五尺位の平石があり、これには種々の伝説がある 調べて見ると錫杖(シャクジョウ)を持った地蔵様が線刻されており、1349年 |
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又、民間、氏神様の所に 1319年 元応元年十一月十三日敬白 右志者○慈父悲母○證○也 一尺五寸×三尺 これらの板碑は四百年前で高橋、片野一族の帰農以前のものであると思われます。 その他にも幾つか年号不詳の平石が多数あります。 |
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又「お掘り」と称する空掘りの城跡があり(香取郡誌には国分氏の属城?とあり、 佐原市史には往古の官倉の跡?とある)現在は民間の人の住居となっているが 城跡らしく平らな敷地の周りをグルッと空の濠が廻らしてあり、今でも濠の跡らしい ものが残っている。 |
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宝雲山 大竜寺 |
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与倉には宝雲山.大竜寺という名刹がある。
宝雲山大竜寺は佐原市の寺院としては |
■大竜寺の過去帳 |
関係古文書、宝物類は多かったに違いないが史料については永録八年九月及び 天正三年一月の矢作城の戦火の時罹災してしまったという。 寺の由来については釣鐘に刻んであったそうですが、戦争中に三百年より少し |
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そ れが先住の全龍和尚の時、本尊千手観世音 菩薩像の入っている厨子の修理をした際、釣鐘 に刻んであったと同じことが「漆の板」刻み、厨子 の中に嵌ハメこまれて いるのが見つかった。 文面は「原夫宝雲山大龍寺者大同年中開創 境内三万坪余眩圓律師一見此地結草庵律行 昼夜不怠也 …計四百九十一文字…云々 喝 |
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★元禄十四辛巳歳季夏吉日 花園末枝当山廿四世 安禅祖泰謹記焉 本願主 片野新福寺隠居 秀道祖教 小野村木寄木エ衛門 江戸小伝馬町大彿師長浜エ と 記してあった。…大同年間(千百九十年前)の創建で現在は臨済宗妙心寺派に 近世に於いては27世の巴陵、一燈、徽叟、穆翁等は博学名僧の聞こえが高かった。 城内には暦応、文明、永正、大永、天正の古碑等多数あり、現住職が一堂に |
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佐原開拓者の祖である伊能家(伊能因幡守 |
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500年前、千葉氏系の豪族で香取地方を 天正年代の終り頃滅亡し、水戸におちのび |
■国分氏由来墓碑 |
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私の村には調べるに値するものが沢山ありますのでこれからも 勉強.蒐集したいと思います。 「与倉村」の歴史については、「郷土資料室」もご覧になって下さい。 |